778a0aの日記

戦略シミュレーションゲーム開発、本の感想、ソフトウェア技術についてなど

『マッキンゼー流 入社1年目問題解決の教科書』読書メモ

運動のお供に聴いていた。2013年出版の本。

第1講義 マッキンゼー流プロフェッショナルの流儀

仕事人として持つべきプロ意識について。どれも大事なことだけど、なによりも入社1年目からこういう考え方を叩き込まれて、なおかつ周りの同僚や上司もそんな人達ばっかりという環境なのが素晴らしいなと思った。

社内に強い人材が揃っているのもいい。資料の作り方について社内の達人にアドバイスを貰いに行ったとか、調査のプロからやり方を教えてもらったとか、さらっと書かれているけど地味にすごいことで、実際はそんな人材がいないとか、そんな有機的な連携体制がうまくできていないとかが多い。

第2講義 マッキンゼー流問題解決の基本プロセス

月並みで当たり前の話にも見えるけど、この地道な段取りをちゃんと実践するのはとても大切だと思った。問題の整理もせずに手当たり次第に取り組んでいくことがどれほど多いことか。また読み返したい。

また、あくまでツールやフレームワークに使われることはなく...、みたいな話もあってバランス感覚をきちんと押さえられていて良いと思った。

意外と感性やセンスが先にあって、それを誰もが納得できるロジックに落としていくという流れであることも多いというのもその通りだと思った。

少し話がずれる。ちょうどネットで論理的思考が話題になっていたけど、ある集団・社会のメンバーみんなが納得できるような話の筋立て、みたいなものが論理・ロジックだと思ううぐらいがちょうど良いと思う。論理という言葉について、論理学とかの流れで、なんらかの数学的・演繹的に求められる絶対の真理・定理みたいな印象を持ちがちだけど、それよりはもっと緩く、もっとふわっとした納得感、社会的な合意感、コモン・センスみたいなものが大事だと思う。

実社会の問題については、形式論理的な筋立てだけでは多くの納得は得られない。論理だけが先行して組み立てられた話が人の胸を打つことは少ない。(純粋な意味で)論理的であることと、説得力のあること・納得のいくことは必ずしもイコールではない。現代では論理的という言葉が「説得力のあること」の代名詞のように使われがちだけど、それ以外にも多くの理はある。それらの総体が説得力を成していて、その中での論理の重要性は社会や時代によっても変わってくる。

さらに余談だけど、大昔では呪術や怪力乱神の類いすら大きな説得力を持っていた。それらは今となっては顧みられることも少なく、時代遅れの無価値な迷信と切り捨てることもできるけど、むしろそこに人間の思考の変えがたい傾向や本質みたいなものも読み取れるように思う。それに、知識の蓄積に乏しく情報の穴だらけで不確実性の大きな世界では割合優れた意思決定の基準だったんじゃないかとも思う。そうでなければ古代にあれほど呪術や卜占に頼った勢力ばかりが栄えることもなかったはず。(ということを宮城谷昌光の古代中国の小説を読んでいるとよく思う)


あとの章はそんなには印象に残らなかった。良いことは書かれていて、それらを愚直に実践していける人間が強いんだろうなあとは思った。

ひとつ前に読んだ本が学生向けだったので、こういうバリバリのビジネスマン向けの本はプラクティカルで心が洗われた。