『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』感想

『御成敗式目 鎌倉武士の法と生活』を読んだので感想です。

御成敗式目について、歴史の教科書などでたびたび見かけるけど、いまいち内容や歴史的位置づけを知らなかったのでこの本を読むことにしました。

御成敗式目が制定された経緯・目的や、制定後どのように社会に受容されていったか、後に続く室町時代から江戸時代までの「武士の世の中」で、武士が制定した法としての御成敗式目がどのような位置づけにあったか、などがよく分かりました。

特に、日本史における重要な法として(十七条憲法→)養老律令→御成敗式目という流れのなかで、御成敗式目がどのような経緯で制定されたかの解説が印象に残りました。

「承久の乱で朝廷に勝利した鎌倉幕府が、朝廷に代わる全国支配体制の確立を目論み制定した」というような単純なものではなく、寛喜の飢饉という危機的な社会情勢のなかで新政・徳政の一環として制定された側面も大きく、幕府自身も武士・御家人以外(朝廷や公家や寺社等)への影響力の拡大には抑制的であったものの、その後の相次ぐ飢饉や文永・弘安の役を経た幕府の影響力の拡大や、政権の長期化・安定化による権威の高まりによって次第に武家勢力以外からも参照される「天下一同の法」になっていったという感じの理解が良さそうだと思いました。

また、本書の「はじめに」に書かれていることですが、養老律令に匹敵するものとして御成敗式目を高く評価している吾妻鏡の記述について、吾妻鏡は鎌倉幕府の支配体制が安定化した14世紀初頭頃に書かれたものであり、その頃には御成敗式目がそのような位置づけで読まれていたとしても、御成敗式目制定当初からそのような位置づけにあったとは限らないという指摘はなるほどと思いました。

歴史に大きな影響を与えた物事について、ついついその後の世の中の影響や、あるいは後世に書かれた歴史書の評価を見て、その物事の発端や動機・狙いを推測してしまいがちですが、実は、必ずしも当初から遠大な野心や計画があったとは限らないというのは、歴史を見る上で重要な視点だと思いました。

御成敗式目を制定した北条泰時も、自分の後に100年近くも幕府の体制が続くとは、ましてや600年以上も武士の世の中が続くとは想像できなかったと思いますし、そもそもそれまで朝廷に取って代わるような全国支配体制ができた前例もなかったですし、確かにどこまで本気で朝廷に代わる支配体制を作ろうという野心があったのだろうかと思いました。(とはいえそんな野心が全く無かったとは言い切れないのもまた歴史の面白いところです)

今後読みたい本

  • 鎌倉時代後期や室町時代の本
    • ある程度鎌倉時代初期の頃のことは分かったので、次は鎌倉時代後期から室町時代にかけて社会がどのように変わっていったかが知りたいと思いました
    • 特に、守護が力を持ち、一部は守護大名へと発展していったような流れのなかで、地頭や寺社のような勢力はどのような変化を辿ったのかも知りたいと思いました
  • 律令制についての本、中国の隋・唐の時代の本
    • 鎌倉時代以前の社会の仕組みが知りたいと思いました
    • 隋や唐の時代の中国の歴史について、また、日本が隋や唐の体制や文化をどのように取り入れたかも知りたいと思いました

以上です。